20世紀納会
2000年12月30日 武蔵国東村山
将軍塚
八国山の、将軍塚脇に立っている説明板
「将軍塚」
狭山丘陵の東端に位置するこの山は、かつて駿河・甲斐・伊豆・相模・常陸・上野・下野・信濃の八か国の山々が眺めたことから八国山と呼び伝えられ、鎌倉時代には、この付近を鎌倉街道上道が南北に通っていた。
元弘三年(1333)、鎌倉幕府を倒そうと上州で挙兵した新田義貞は同道を南下し、小手指ヶ原で幕府軍と対峙したが苦戦を強いられ、分倍河原(現東京都府中市)の合戦でようやく勝利するが、このとき義貞がこの地に一時逗留し、塚に旗を立てたことから将軍塚と呼ばれるようになったと伝えられる。江戸時代に編纂された「新編武蔵国風土記稿」には「此ニ一ツノ塚アリ。是ヲ将軍塚ト呼ブ」とある。同書にはこの塚は富士塚とも呼び、あるいは古代の塚ではないかとも記されている。
塚に、現代野試合連盟で使用しているスポンジ製の剣を供える。
マイ鉄馬(笑) 燃費もいいし、荷物も積めるし、なにより丈夫で実用的である。
八国山の近くに在る鳩峰八幡宮
説明板から
鳩峰八幡宮
当社は社伝によれば延喜21年(921)京都市男山鳩峰の岩清水八幡宮を勧請してまつったといわれている。
また元弘3年(1333)5月、新田義貞の鎌倉攻めには、社の東南にある八国山に陣し、当社に参拝し戦勝を祈願したと伝えられ、境内は多くの樹木に覆われ、古社の趣を呈している。摂社には八坂神社、水天宮がある。
掲げられている額
これが新田義貞が参拝の折り、兜を掛けたという「兜掛けの松」。数代目だそうな。
こちらはなぜか奥まった所にちんまりと鎮座する「鎧稲荷」
おなじく参拝の折り、鎧を置いた場所だそうな。
張ってあった「鎧稲荷神社」の由来書き